花と音楽のある暮らし

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2010年1月31日日曜日

10.01.31知多郡道と産業観光サイクリング

10.01.31知多郡道と産業観光

2010年の最初の1ヶ月が今日で終わる。早いものだ。

日本ガイシスポーツプラザはJR笠寺駅のすぐ隣。
輪行でいくのか、自走にするか。
探訪は旧街道を行く40kmのポタリングになるだろう。

午後の降水確率が60%も出ていることを考えると、自走で集合場所まで30km。
探訪と合わせて70km。帰りは無理をせず輪行としよう。

6:45出発。薄明るくはなってきているが、もちろんまだライトは前後とも点灯。
41号線をひたすら南下する。
夜明けの時間はやはり、かなり寒いので一旦止まってウィンドブレーカーならぬ、天気予報に従って持ってきたレインコートを重ね着する。
初めて着るので、もっとバタバタすると思っていたが、意外にそうでもなく、体も温まって快適。

名古屋市内に入ると、左車線に停車中の車があって歩道を走らざるを得なかったり、自転車を追い越して、すぐ前を左折してコンビニに入る車があったりして気が抜けない。
1時間半を想定していたが、プラス15分で、ちょうど8時半に集合場所に到着した。


本日の参加者は12名。今日はロードよりマウンテンのほうが多いかな。
ピストもあるし、ランドナーもある。
名所旧跡を見て回るから、ロード用のSPD-SLシューズでは歩きにくいせいだろう。

今日の見学ポイントは主に「知多郡道」を通って名所旧跡を巡る前半と、産業観光の後半に分かれる。

一里塚、星崎城址(現在は笠寺小学校)、西来寺の永井荷風追悼碑、鳴海城跡公園、旧知多郡大高町役場跡、大高城跡と廻る。

中でも大高城跡は激坂を押して上った後、急に視界が開け、楠の大木のほかには広々とした冬芝の上に一面に広がる枯葉と、灰白色の空。

いきなり異次元空間に放たれたような感覚に陥る。
芝の上を歩いてだんだん慣れていくと、冬枯れた木々の間から街並みが見下ろせる。
背景を白く濁らせる手法を用いた絵画のようだ。

下り坂の途中から左手に折れ、、枯葉の積もった道らしい窪みを下ると、「氷上姉子神社」がある。
「日本武尊」の妻を祭る神社で、熱田神宮に奉納されるまで「草薙の剣」を守っていた所だそうだ。
ここの碑には「日本武尊」は「倭武」と表記されていた。
ここから更に下ったところに「寝覚めの里」。一夜をともにした後、潮の音で目覚めたという伝説が記されている。


これより先は産業観光だ。
港地区は石油コンビナートや東海市の新日鉄などの大型施設も見渡せるが、この東海地区を代表する企業として、中部電力と東邦ガスがある。
今回は中部電力が手がけるワイルドフラワーガーデン「ブルーボネット」が閉館中で見学できなかったが、昼食後、東邦ガスのガスエネルギー館を予約してもらっている。

昼食の「味波柴田店」は我々12人がちょうど入れる掘り炬燵式。
全員の顔が見渡せ、楽しい雰囲気で話も弾む。
皆さんの自転車に対する知識、用語の豊富さに圧倒されます。
料理のボリュームにも圧倒され、もったいないけど食べ切れませんでした。

ガスパビリオンでは最初にグリーンランドの白熊の映画鑑賞。
温暖化の危機に警鐘を鳴らしつつも、美しい氷山の映像だった。
「燃える氷の実験」や展示ホールを見学した後、本来は2月1日から開催される企画展「パノラマカー展」を観に6階へ上がった。
パノラマカーの運転席や変遷の写真パネル展示も面白かったが、それよりも何よりも、窓の外に建設中の名古屋高速4号線が、北に向かって、あるいは南の方向へも伸びているのが見える。
このあたりは道路そのものはほとんど出来上がっているように見える。

ピナレロレロ大矢さんが「こういう道路を造るときは脇に自転車道路も一緒に造ってほしいよね」と言われていたが、確かにそういう時代でしょうね。
ドイツやオランダなどエコに対する意識の高い国は、そういう都市計画が国を挙げて進められているという話をよく見聞きする。


今日は自走組の人も多いので、空模様と相談しながら適宜解散する。

最後まで残った6人は、もうひとつおまけに、塩付街道の碑に足を伸ばす。
室町時代には、ちょうど今日廻った辺り、南区・緑区の塩田で作られた塩を内陸部へ運ぶ道として利用されたのだそうです。

三河湾の塩を足助を通って塩尻に向かう「塩の道」とは別のようだが、この塩付街道も、昭和区石仏の白山社あたりに当時の街並みが残っているそうなので、いつかM下さんのルートになることだろう。

往路自走:28.8km
探訪  :41.2km
 ちょうど70.0km

笠寺駅で自転車を詰める。
心配された雨も、ほとんど降られることなく車中の人となった。

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