09.12.12 東海道スタンプラリー |
東海道の風情ある町並みや松並木を通って江戸方面に向かう、要所要所でスタンプを押しながらの探訪サイクリングだ。
今回は街道に詳しいM下さんが幹事となって引率してくれる。
ただし、時間的な制約もあり、また街道を歩く人たちにとっては当たり前の、「ワンウェイ」。
・・本日の目的地に到着したら、電車で自宅に戻る・・
つまり、「輪行」が条件なのだ。
輪行は慣れた人にとっては「魔法のジュータン」であり「どこでもドア」のように便利なものだが、そうでないサイクリスト、ローディーさんにとっては「煩わしさ」が先にたって、電車に乗っているくらいなら近場を走っていたほうが良いらしく、その辺が難しいところだ。
という訳で、今日はM下さんと豊明のオカポンさんと私の3人で笠寺を出発。
鳴海宿→池鯉鮒宿→岡崎宿→藤川宿→赤坂宿→御油宿→吉田宿(豊橋)まで行く予定だ。
名古屋の南区からなので、鳴海までは思ったより近い。
タイムスリップしたように、古く趣きのある町並みや有松絞りの看板が現れる。
路面がアスファルトでなく土や砂利ならば、映画の中に入り込んでしまったかと錯覚しそうだ。
名鉄有松駅は近代的できれいな駅になり、隣接するイオンと一体化することにより、一大交流拠点の様相を見せている。
しかし残念なことに、スタンプラリー1つ目のスタンプはまだ用意されておらず、駅員に聞くと、「スタンプは10時からですよ」
そりゃそういう規定かもしれないけど、もっと早く利用したい人たくさんいるでしょ。
駅なんだから。
利用客のことを考えたら、手間を惜しまない方がいいと思うけど!?
知立神社でミシガンさんと合流。
ここが池鯉鮒宿のスタンプポイントだ。
一里塚や石碑を見ながら街道を進み、八丁味噌蔵を通って岡崎公園の観光案内所で2つ目のスタンプ。
ここからM下さんはまっすぐ進もうとせず、あくまでも旧街道にこだわって、
「二十七曲」で右に左に折れながら、「二十七曲碑」に到達した。
何か目印になるようなものがあるらしいのだが、私たちは迷子にならないようにくっついていくだけだ。
藤川の松並木を通り抜ける。
松はさすがに常緑樹の代表格、堂々たる風格と歴史を感じさせる大木の並木が続く。
無人の藤川資料館で3つ目のスタンプ。
赤坂宿の赤坂庵で「八丁味噌・ジャンうどん」を食べる。
この赤坂庵のすぐ近くに、名鉄の「トコトコ東海道」のパンフレットの表紙に使われた「旅籠 大橋屋」が昔ながらのたたずまいを見せる。
このパンフレットの裏にスタンプを押しながら旅を続けているわけだ。
御油の松並木は国の天然記念物だそうだ。
「御油の松並木資料館」のパンフレットによると、
「東海道中膝栗毛」の弥次さん喜多さんのこっけい話の舞台にもなっている。
町並みの復元模型も街道の様子をよく表している。
三河屋製菓のお菓子で糖分の補給と、4つ目のスタンプゲット。
名鉄伊奈駅の2階改札横でスタンプを押し、
これで本日予定のスタンプ5個揃ったので、駅員さんに受け取ってもらう。
なんでも、一句どうですか・・みたいなスペースがあったとかで、ミシガンさんなどは、即座に句をひねり出して投句したというのだから恐れ入る。
ここまで信号で止まったり右左折を繰り返しながら、結構な距離を走ってきたはずだが、なぜかずっと下りで、しかも追い風。
ペダルは一応回しているだけで全然力は使わない。
ポカポカ陽気で苦しい場面が一度もない。楽ちんサイクリングだ。
旅は終盤、吉田宿本陣跡地はりっぱな鰻屋さんになっていた。
我々は記念写真を撮って、匂いを嗅いだだけで豊橋公園内の吉田城址に向かい、ここから豊川の豊かな流れを眺めた。
東海道吉田宿の石碑には「江戸まで七十三里 京まで五十二里」とある。
二川宿まで行けば愛知県内の宿場が終わり、駿河のくにに入っていくのだろう。
8:15笠寺出発、15:30豊橋駅。71kmの弥次・喜多×2道中。
今日のところはここでとして、豊橋駅でそれぞれの愛車を輪行袋に詰める。
名鉄快速特急に乗り込めば、1時間ちょっとで我家だ。
江戸時代に参勤交代やお伊勢参りで発達した街道や宿場町が、
現在もこんなに身近に残され、保護されているのを再発見した旅だった。
輪行もなかなか悪くないね。
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