11月3日の中日新聞近郊版に小牧山城発掘調査の記事が載っていた。
それによると、3日~5日には現地公開が予定され本年度の調査区画を見学できる、というので散歩を兼ねて行ってきた。
北駐車場から園内に入ると発掘調査の案内板が目に入る。
芝生の緑や四季桜、それになんといっても澄み切った気持ちの良い秋空。
外周路をしばらく歩いたあと、木立の茂る山道に入っていく。
階段を登っていくショートカットの道も何本かあるのだけど、散歩の歩数を稼ぐためにも山沿いの舗装された道を螺旋状に歩く。
いつもの散歩道は真っ平らなので、起伏のある道は新鮮で楽しい。
お城(資料館)のすぐ下に『発掘調査現場公開中』と大きく表示されている。
近づくと、新聞にも出ていた考古学専門員の小野さんが参加者に説明しているところだった。
写真を撮りながら様子をうかがっていると、参加者からも質問が飛び出してくる。
愛好家たちらしく、質問の内容もしっかりしているようだ。
中には専門員の小野さんが「それはいま私の見解として論文にまとめているところで、『こんなこと言ってたよ』と喧伝されても困るので、ここではまだ言えません。」と応えるほどの質問内容もあったようだ。
係の人が手渡してくれた5ページにわたる資料には、写真や復元図、それに「小牧山の歴史」や「織田信長の天下統一への過程と城郭」といった表を用いて、発掘調査でわかってきたことが詳しく説明されている。
今回見つかったのは
[1]小牧山城の主郭(本丸)に至る大手の登城路が広い道幅を有し、その山側には岩と石垣の壁面がそそり立つ構造を持つことが確認されました。
(道幅は山の斜面にも関わらず山本来の岩盤を削平して9.5~10mもの幅員を持つことが判明しました。確認できた路面の総延長は19mです。)
[2]確認された壁面は、2段の石垣と人工的に切りたてられた岩盤で構成されていることが判明しました。
まとめ
今回の調査で確認した岩盤と石垣の壁面は、過去の調査結果と合わせて「岩の壁」に相当するものが小牧山城にも存在したことを物語っています。小牧山城で用いられた城郭、城道の建築思想や要素が、後の城郭にも影響を与えたと評価できます。
お城ブーム・戦国ブームの昨今、歴史に詳しい人達はワクワクしているだろうなあ。
そうでなくても、いろんな脇道を歩いたり、資料館を覗いてみたりするのも楽しい場所だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿