ドンキに自転車を停めさせてもらって五条川沿いの緑陰の散歩道を進む。
目的地は堀尾跡公園。
というより「戦国はるかなれど」の主人公「堀尾吉晴」の屋敷跡と、すぐ近くにある「桂林寺」へ行って、金助とその母の供養塔を見たかった。
というのも「戦国はるかなれど」の中ではいま、ちょうど金助が小田原攻めに参加するところで、吉晴は何くれとなく我が子の初陣に気を配っているという場面。
桂林寺の広い境内を左手に進むと「堀尾吉晴公」「金助とその母」供養塔があった。
「金助とその母」が常に1セットで語られるのでこの様になっているのだろう。
金助は吉晴の息子、あるいは養子、また叔父の子供などいろいろな説があるようだが、そうするとその母は誰だろう?(本の中では吉晴の妻「お俊」が輿に乗って尾張熱田まで同行してきたとなっている)
森の左側は八剱社。右側が堀尾吉晴邸趾。
ここでは息子の「忠」氏が吉晴の後を継いで、関ヶ原合戦の功により出雲・隠岐24万石を賜り松江城築城、城主となった。
忠氏は若くして亡くなり息子の忠晴が幼かったので、すでに隠居していた吉晴がこれに代わって治めたとある。
裁断橋はもともと名古屋の熱田神宮近く、旧東海道の精進川に掛かっていた。
これが有名になったのは擬宝珠の(子を思う母の)銘文が人々に感銘を与えたことによる。
大口町のホームページ「史跡・文化財」にうまくまとめられていた。
YMDさん、こんにちは!
返信削除良いなぁ~!
近くにあるので、再訪が出来て・・・(笑
本を読んでからだと、また見方が違うのでしょうね!
堀尾吉晴という武将・・・
目だたない(あまり知られていない?)ですが、
戦国時代を代表する武将の一人ですよね。
ポチ
じぃじさん、おはようございます。
削除堀尾吉晴、立派な武将だったようですね。
蜂須賀小六、前野長康の育った屋敷もこのすぐ近辺です。
信長の最愛の側室であり信忠・信雄の母でもある吉乃の
生駒家も広大な屋敷だったそうですが、
その「生駒家石造群(宝頂山墓地)」というのも
堀尾跡公園から少し南にあるようなので
今度の散歩はそこまで足を伸ばしてみようと思います。