「戦国はるかなれど」に関連して、堀尾吉晴、前野将左右衛門、蜂須賀小六のほか外すことができないのが「生駒家長」。
江南市小折にある生駒屋敷(小折城)は信長の側室「吉乃の方」の実家であり、信長や秀吉の天下取りの起点となった重要な場所。
今日の散歩コースは堀尾跡公園までミニベロで、五条川沿いに少し歩いて「生駒家石像群(宝頂山墓地)」と生駒屋敷跡(小折城)」までの往復。
4代目の家長夫妻の五輪塔が2基、5代目の利豊夫妻の家形石廟、後に建てられた10代目周房の石碑がある。
幼稚園の入り口脇に生駒屋敷跡の石碑と案内板が設置されている。
前野将左右衛門を中心とする、前野家祖先の活躍ぶりを著した「武功夜話」によって、戦国三英傑の動勢や、彼らに仕えたこの地区の武士たちが重要な役割を担った様子が補完されている。
というレポートに詳しく検証されている。
『いわゆる三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)が尾張・三河地区の出身であることの結果として、江戸時代の大名三百諸侯のうち六割近くは現在の愛知県に当たる地域の出身』という話も目からウロコ。
「戦国はるかなれど/下巻」も大詰め。
縁の地をミニベロと徒歩の組み合わせでの史跡探訪もなかなか楽しかった。
緻密に詳細に調べ上げられたこの本も面白かったが、さて次は何を読もうか。
他の作家が別の視点で書くのを読み比べるのもいいし、この本の著者・中村彰彦さんを追うのも良いかな。
YMDさん、こんにちは!
返信削除お近くに戦国時代の史跡がたくさんあって良いですね~!
・・・って、毎回言ってますが・・・
岐阜や尾張、三河ですものねぇ~~!(笑
>江戸時代の大名三百諸侯のうち六割近くは現在の愛知県に当たる地域の出身
う~~む・・・
当然と言えば、当然ですが・・・
>堀尾吉晴、前野将左右衛門、蜂須賀小六
明治維新まで大名家で残ったのは、蜂須賀家だけでしょうか?
歴史は・・・まさに栄枯盛衰です。(笑
ポチ
じぃじさん、おはようございます。
削除時は戦国、首をいくつ取ったかによって貢献度が評価されたり、
負ければ切腹は当たり前、磔、獄門、御取り潰し。
それこそ戦々恐々という中にあって生き延びるだけでも大変な時代ですね。
関ケ原決戦は事前の調略や状況の読み方の違いで、あっけなく終わりました。
吉晴はいよいよ隠居を決意しましたが、もう少し続きがありますね。